2011年09月19日

【日記】中日ビルの飲食店街がヤバい

名古屋のど真ん中、栄という場所にある、中日ビルという建物について書く。

DSC00231_15p.jpg

まず、偏った客層がヤバい。

中日ビルの4Fに、中日文化センター(カルチャーセンター)がある。ここに集うのは、名古屋弁バリバリで70〜80歳あたりのじいさん・ばあさんばかり。当然、飲食店もターゲットはその客層狙い。コジャレた店など皆無で、昔ながらのソファーがふかふかの喫茶店や、うなぎ、みそかつ、きしめん。。。名古屋飯などという呼び名が出るよりずっと前から(当たり前のように)ある店ばかり。

でも、本物の名古屋飯ってこれじゃね?って気がしてきた。名古屋のじいさん・ばあさんが昼ごはんに食べてる飯。うちのおばあちゃんも、通っていた場所。お年寄りの聖地

ラシック(LACHIC、三越別館)や松坂屋でお上品に食べる名古屋飯も、たしかにうまいけどね。うまいんだけど、きっとそれは名古屋以外の人向けにデフォルメされてる部分もあり、本当の名古屋飯を名古屋っぽい雰囲気で食べたいっていう人がいたら、ここが選択肢の1つにあってもいい気がしたけどね。味より雰囲気?みたいな。名古屋弁が聞けるとかじゃなくて、名古屋弁しか聞こえない店内の雰囲気も込みで。

中日ビルは建物が年代物で、かなり老朽化が進んでいると思われる。耐震強度とか気にし始めたらそろそろ限界だろう。建物を立て直す時には、ぜひ、この建物の存在する意味をくみとってほしい。ラシックやミッドランドのような近代的な建物になってしまうと、ちょっと残念かも。無くなってしまうのはもっと寂しい。土地柄や利用者との「調和」を大切に考えてくれそうな人に新・中日ビルを手がけてほしい。

いろんな意味で、中日ビルは、名古屋人のじいさん・ばあさんの「最後の楽園」なんだな。俺たち世代の楽園、どこにしようか?

中部日本ビルディング(Wikipediaより引用)
中部日本ビルディング(ちゅうぶにっぽんビルディング)は、中日新聞社の本社移転に伴う跡地再開発として建設された建築物である。所在地は、愛知県名古屋市中区栄四丁目。中日ビル(ちゅうにちびる)と略して呼称される事が多い。栄駅と直結している。中日新聞社の関連企業の中部日本ビルディング株式会社が運営している。完工は1966年4月。


以上。
posted by Sakak at 15:54| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月08日

【日記】便利を追求して失ったもの

■時計の電池交換がその場でできなくなっていた

今日、会社に出入りしている町の時計屋さんに、10気圧防水の腕時計の電池交換をお願いした。ほんの5分ほどで完了し、料金は500円(安い!)。以前、近所の大型スーパーに聞いたら、防水時計は「メーカー預かりで2,500円程度、2〜3週間かかる場合もある」と言われた。「時計の技術がないので、大型スーパーやホームセンターの売り場の店員さんでは、技術的に無理なんでしょうね」と時計屋さんは言う。

町の時計屋さんって、ほとんど見かけなくなったね。独立して店舗をかまえている店。時計のプロと、時計の話をするのは楽しかった。あたりまえの事なんだけど、久しぶりの感覚。なぜだろう、と考えた。

■便利を追求して失ったもの

我々は大型スーパーに小売店を集中するという方法で「便利」を手にした。しかし、効率化を追求するために、リソースを限られた場所(メーカとか)に集中していき、結果として、職人と呼ばれる人の仕事を奪っていった

昔は、商店街などにあったであろう町の時計屋さん。大型スーパーと商店街。対極にある関係。大型スーパーは、大量に集客し大量に消費するために作られる。そこには「モノ」はあるけど「人」がない。誰が売っているか、気にしたことはない。商店街の店には「人」がいる。そこに行けば、あの人がやってる店があるから、という感覚。

ひさしぶりに、商店街へ行ってみようかな、と思った。ひなびた喫茶店でお茶するのもいいし。通りを歩きながら雰囲気、空気感を楽しむのもいい。食べ歩き最高。ちょうど、大型スーパーにも飽きてきた頃だったんだよな、と思いかえしてみる。

我々は少し、便利になり過ぎたのかな。少し不便なほうが落ち着ける気がするのは、便利に慣れすぎたからだろうか。車も使わず、電車で行こう。大型スーパーでは味わえない雰囲気を、思う存分楽しむために。

posted by Sakak at 22:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月06日

少子化問題って何の問題?

少しいつもと違うお題で書いてみます。

少子化問題って何が問題なんっすか?ピントがよくわかんなくて。こういう流れですか?

【国の施策】労働できる人口が減少し、高齢者が増える。年金の制度(若者が高齢者を養う)が崩壊する。だから子供をもっと産んでくれ。
【問題】国がそういうなら産んであげてもいいが、保育所が足りないので、子供ができた後に働けなくなる。
【結果】そういう状況だと、1人くらいならなんとかなるけど、それ以上は無理(例えば)。
【対策】待機児童対策をする。保育園増設。国費大量投入。検討中の「こども園」にしても、課題は山積み。

こういうアプローチであることは、わかってます。わかったうえで思うこと。

1.現時点で保育園が足りないのに?

待機児童対策がうまくいくのか?って話が1つ。現時点でも受入数が足りないところを、子供増やせばもっと足りなくなる。保育園を増設する事と、子供の数が増える事のバランスはいいの?小学校では、教師と保護者との問題で、教師がまいっているニュースをよく見るが。教員を希望する数は減少しているらしいじゃない?この少子化の時代でも、教師が足りないって言ってるんでしょ?だったら、子供増えたら、困らない?

2.人口が減ったのは自然の摂理で、自分たちが作った結果。日本だけじゃなく、世界的に見ても。

Wikipeidaの「少子化」のところを見たけど、どこの国もいっしょ。高度成長する曲線とは逆に、生まれてくる数は減ってる。最近は、減り方が緩やかになってるけど。

我々の生活が豊かになる→(その結果)女性の社会進出、男性も女性も、一人でも楽しく暮らせる社会の実現→(その結果)結婚率も低下、離婚率の増加。それに、一番、きいてくるのは、結婚して子供が欲しくても(女性の)晩婚化により出生率の減少、という事じゃないのかな?これは動物学的な話なんだろうけど。子供を産む年齢が後ろに下がった事が決定的だと私は思っています。産まれる確率の問題で。

でも、それがわかったところで、どうしようもないじゃないですか?もちろん、産みたくても産めない人にはきちっとサポートをして、産めるように補助してあげる事は必要ですよ。それはぜひそうしてください。ただ、根本的な話は、出生率低下の話はどうしようもないんじゃないか、と。この豊かな生活を全て捨てて、例えばですけど、40年くらい、戻ってみます?できませんよね。

3.そもそも、少子化っていう国の施策はどうなのか?

根本的な話で。若者の人口が減ると、生産能力(GNPとか?)が減る、だから、高齢者が年金もらえず路頭に迷う。だから、人口増やせ、って、どう見ても無理。年金制度を変えるっていう発想はできないの?なんで、何十年も前からそこは同じなの?

やっぱ、高齢者が若いときに必死に働いて、あとで(例えば60才過ぎてから)楽する、みたいな、そんなストーリーが、もう描けないっていう前提で、制度改革しなきゃだめじゃないですか?つまり、もう、自分の事は(基本、健康な人は)自分でやれって話です。若者を頼るなっていう話。

今って、60才過ぎても、70才過ぎても、元気な人は元気でしょ?だから、もう、その定年制度っていうのをいったん考えなおして、ジジイもババアも働ける社会に変えないとだめじゃないですか?働いてもらう社会。ぎりぎりまで働ける社会づくりっていうか。景気が悪いときに、そんな人雇えるかっていう、企業側の声もあるのはわかるけど、そのへんにお金を使いませんか?国が。税金で。

そうやって、働くことで、なんか回りませんか?TVで見ましたよ。どっかの過疎の農村で、あきらかに高齢者ばかりの、ある村の改革を行った人がいるって話。その人が行った改革(村おこし)の結果、村の高齢者達は、自分で採った野菜を、ネットで販売する仕組みを手にすることができた。例えば、自分の持っている裏山の薬草とか、野菜とか、落ち葉とか、そういうモノ。山に落ちている草花でも、都会に出すとお金がつく。「宝の山」ってよんでたけど。それによって、結局、その高齢者がパソコン使って、自分で注文受けて、生産(採取)して、発送してお金を稼げるようになった。もうゲームですよ。80過ぎたじいさん、ばあさんが「楽しくてしょうがない」って、目をキラキラさせながら、言ってましたもん。めちゃくちゃ元気なんですよ。その村の人達。

あれを思い出しましたね。年金もらって、後は死ぬまでのんびりするか、っていうモチベーションの人と、稼ぐ事が楽しくてしょうがないっていう人は決定的に目の輝きが違う。長生きもするはずだよね。そういうのってイイと思いませんか?方向性として。

4.税金の使い方は平等に

「3.の話」(高齢者に仕事を提供する話)がいいと思うのは、子供がいるとかいないとか、関係ないところ。常々思っていることは、子供がいる家庭ばかりを優遇するんじゃねーよって、話。子供がいる人は、国のために子供を産んでるんじゃない。子供が欲しいから産んで育てているんです。それだけです。

子供がいるとかいないとか、結婚しているとかいないとか、そんなもん関係なくて、みんな、社会に接して、必死に生きてるの。俺の友人にも、独身の人もいれば、結婚したけど子供が(欲しくても)いない人も、離婚して一人でがんばっている人も、いろいろいるわけですよ。そういう人に、少子化問題の施策って、ある程度、平等に税金を分配してないんですよね。それが気に入らない。みんなに優しい、みんなに効果のあるところに、カネを使って欲しい。

俺は、運良く結婚できて、運良く子供ができて、それは本当によかったけども、だからって、子供がいる事を主張して、育児にお金が足りないから、とか、そういうことを国(つまり、納税者、国民全体)には言いたくないっていうか。そこは自己責任でって思う。子供が一人か二人か、なんて、もう、そんなの自分の収入と、奥さんの体と、自分の(育児する)体力とか、もうそういう、家庭の問題だけで、話し合いで決まる話で、(実際)話し合いで決めましたけどね。だから、国が増やせと言われても増やさないし、減らせと言われても減らさない。それだけなんですけど。


5.最後に

「子供手当」という、タダでカネを配るやり方、そんなもんやめろ、と思う。おれは子供がいるから(もらっているから)、逆に、言わせてもらう。もらってるけど、もっと他の事に使え、と。将来の日本のためになることを。例えば、上に書いたような、3.が実現できるような社会。高齢者がもっと働けるような社会を作るために、使って欲しい。そのほか、今、育児で必死になっている人達は、児童施設だとか、親子カフェだとか、そういうのがあると、めちゃくちゃ助かる。そういう施設を増やして、今、現在、子育てで、ストレス抱えて大変な人達を救う事に、カネを使え。今の人達に使わないで、どうするの?これから、もいいけどさ。今、いっぱいいっぱいの人もたくさんいるんだから。

以上、さかけーでした。言いたいこと、だいたい書けたけど、長文になってしまった。すいません。

--

今日は、こういう話を書くことで、問題提起できればな、と。私がこんな分野の話をうまい事言えるとは思ってなくて。でも、市民目線では、
そして、子供を持つ親目線では、こう思ってるんだよって、ことを書いてみました。

昨夜、私の親友のN君と、飲みながらこの話をしたんですね。そして、彼が寄稿してくれる事にもなったので、私以外の意見として、ココにのせておきます。いろんな意見が聞けて、立体的に物事を考えるのはイイと思うから。

彼の考えは、私は、発想も含め、好きで、いつも刺激をもらっています。

以下、親友のN君より。

--

昨日言ってた少子化について、私のかなり(マイノリティーな)意見を述べさせてもらいます。

【少子化。何が問題なんだ!?】
以前、“たかじんのそこまで言って委員会”で、環境問題に詳しい大学教授が言ってたんです。

「少子化は自然現象なんだから、別にムリに止めることは無い。子供たちがお年寄りの年金を支えれない?年寄りは死ねばいいんだよ!」みたいな。同感です。お年寄りには、その時代で可能な年金を支給すればいいんじゃないの?そりゃー、たくさんもらえた時代の老人はラッキーだし、これからの老人はアンラッキーだし。それでいいじゃん。

苦肉の策で子供を増やして、年金をたくさんもらって、多少は健康になって、65歳の寿命が70歳になったところで、本人も他の人も、別に嬉しくないのでは?

だいたい、40歳くらいまで生きれば、もう十分では?と思うんだけど。「まだ死ねない。やり残したことがある。」なんて人は、40年間もあって何をしてたの?と思うんだけど。

【人類なんていらねー?】
少子化とは関係ないかもしれないけど、地球環境からすれば人類はいらないと思いますよー。だって、この瞬間に人間が地球上から消えたら、海も山も空も、どんどんきれいになっていきますよ。鳩山さんじゃないけど。(笑)

人が死んで、あの世で神様に天国か地獄行きかの判定会議にかけられたら、書類審査だけで「あー、人間ですか。地獄ですよ。しかも仮釈放無し!だって、犬や猫をペットにして、牛や豚を家畜にして、どんだけ偉いんだって話ですよ。地球を滅茶苦茶にしてるし。」なんて言われそう(笑)
まあ、でも、日本の人口は減ってるんでしょうけど、地球全体で見れば、僕の希望とは裏腹に増加してるんでしょうねー。

以上です。
posted by Sakak at 23:40| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月26日

浦島太郎が助けた亀はいったい何者だったのか

「浦島太郎」はこんな話しだったはずだ。(引用元サイト:知的好奇心探求倶楽部”浦島太郎”より)

・虐められている亀を助ける
・亀に「礼がしたい」と言われ、竜宮城へ
・乙姫に迎えられ、踊りや食事の歓待を受ける
・三日たって、さすがに帰りたくなる
・みやげ(?)に玉手箱を渡され、「絶対開けるな」と言われる
・故郷に帰ると、見たことのない風景。それもそのはず、出発してから三百年たっている
・悲嘆に暮れ、玉手箱を開けると煙を浴びて老人に

この話を絵本などで子供に読み聞かせる時のことを考えてみたい。何を子供に伝えればいいのか?と。この話しの教訓は何かを。子供にも「このお話しは何がいいたいの?」と聞かれたときに、親として”ビシッ”と伝えないといけないしね!

この話のポイントは、”なぜ「開けてはならない玉手箱」を持たせたか?”ってコト。

玉手箱って持っているだけでうれしさあるんだっけ?たぶんない。ないなら、もらった人は、開けるに決まってる。中身を伝えずに「開けるな」というのは、”びっくり箱”を渡す時と同じ状況であり、渡す立場の人間は、当然、相手が中身を開けることを想定していた。

「つまり、トラップなんですね、これは。」(池上彰風)

亀とか、竜宮城とか、そんなドリーミングな例えに惑わされてはいけません。竜宮城を、新興宗教団体や暴力団組織などと思えばいい。亀はその構成員。客引き。ハニートラップ。そう考えるのが自然です。

だって、だって、亀を助けたのに、あんまりの仕打ちじゃないですか!まさか、こんな目にあわせておいて「開けるなと言われたのに開けたから、約束やぶった人が悪い」とか、ナシだよね?

”亀を助けた”っていうところに着目し、生き物の大切さを伝えるには、その後の展開があまりにも不幸すぎます。そういうわけで、このお話から、子供に教えるべき教訓は、これです。

教訓:良いコトをしても、見返りは求めるな。タダより高いものはない。近寄ってきた女(亀)に手を出す時は気をつけろ。

補足:
”玉手箱を開けると煙を浴びて老人に。三日のつもりが三百年。”というところはどうしてもつっこみたい。だって、三百年たった結果、老人だったとしたら、どんだけ長生きだよってことになる。スターウオーズのヨーダ並みに。少なく見積もっても、あと50年は生きそう。

もしこの話が1711年(江戸時代)だったら、300年後は2011年。浜辺で(300年前からやってきた)浦島太郎が座り込んでいたら、iPhoneで動画撮られて、Youtubeで流されて、スーザン・ボイル並みに人気が出て、稼いだお金で楽しい余生を過ごした可能性も否定できない。

おしまい。
posted by Sakak at 23:10| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月07日

グルーポンおせち問題への興味がハンパない件

リンク:
[GROUPON考] 「グルーポン バードカフェおせち事件」の考察

こちらのページからトラックバックが来ていたので、確認させてもらったところ、私のブログの一部を引用までして紹介されていました。後半のほうです。こうして、なにげない私のつぶやき程度のものを紹介してくれた、というのはやっぱりうれしいもんですね。

しかも、かなりしっかりできたブログサイトだったのでびっくり。他に引用されている方達も、私が日常的にチェックしているブログがあったりと。私のでだいじょうぶか?とちょっと心配になりながら。これだけきっちりまとめサイトがあると、このひとつのブログで、グルーポンおせち問題はおなかいっぱいになっちゃうね。完結してる。

ブログのアクセスログをたまに見てるんですけど、訪問者数というか、そういう数のイメージでいうと、Google AnalyticsやSeesaaのアクセス数の結果を見ても、いつもの3〜4倍以上の方が見ていた模様。グルーポンのネタになった途端にね。みんな、グルーポンおせち問題への興味がハンパないってことだね。だからって、そこにつけこむわけじゃないけど。

話は変わりますけど、もうひとつ、読んでみてよかったサイトがあって。

リンク:
個人ブログの現在、そして、たぶん未来

これ、なんかよかったですよ。この記事は。特に、この部分。

ごく一部の「専門家のブログ」を除いて、多くの人は、個人のブログに「この人は、どう感じたのか?」ということしか求めていないはずです。

たしかに、そうそう。もっと気楽にやればいいんだって、と。気にしすぎてくると自分がつまんなくなる。結果を求めて始めたわけではないのにね。いつの日からか、作った後のコメントだとかレスポンスだとかアクセス数だとか、そういう目に見えない得体の知れないものの様子をうかがいながら、書く内容を変えてみたりしがち。そういうの、読んでいるほうも、わかってくる。つまんなくなってきた、と。

作り手が「自分が期待されている事」と読み手が「期待している事」が乖離してくると、うまくいかないんでしょうね。そういう現象の事を言っているのかな、と思いました。たしかに、それは起こりがちです。

結局のところ、何を期待されているかなんて考えてやる必要ないんですよね。ひとりよがりでやればいい。誰も見てないのはちょっと下がりますけど、誰か、何人か見ててくれてればいいんですよ。あとは、自分の納得のいくコンテンツができた!という自分自身の満足感というか。それを感じれるかどうか、だけでしょう。

と、偉そうなことを書いてみたけど。このあたり、ブログやっている人はみんなどこかで自問自答している話だと思いますよ。私も過去に個人サイトを持っていた時、何度も考えましたもん。今は、そういう時間をずいぶん前に過ごしてきてしまったせいか、けっこう気楽にやれてます。

少なくとも、ブログを見てくれている人って、「人」を見てると思うんですよ。「人」に興味があるという意味で。でも、最近はどんどん、「人」から「コンテンツ」へ興味の対象が移ってきた。そういうサービスが増えてきた。極端な話、tumblr(タンブラー)サービスなんか、「コンテンツ」オンリーだから。誰がリブログしたか、誰が投稿したかなんて、ほとんどの人が気にしてない。Twitterは、いちおう、誰をフォローするかという意味で「人」だけど、それでも、ブログよりはだいぶ「コンテンツ」寄りな気がしてる。発言内容をひたすら流し見していく感じが。

そういう意味では、このブログサービスっていうのは「人」がキーになるという最後の砦になるかもしれない。このブログサービスが衰退してしまったら、残るは「コンテンツ」のみの世界。あとは、全く別階層の「SNS」という名のインフラのみ。

なんか、この先、どうなっていくのかわかんないね。今しばらくは、ひっそり、ブログでも更新しとくかな。自己満足で。

#おまけ
このブログサイトの右サイドバーにFlickrのパーツを埋め込んでみました(試験的)。ここにランダムに出てくる写真は全て私が撮ったものです。しばらくはフランスに旅行に行った時のものがでてるはず。リロードするたびに変わります。拡大写真を見たかったら、写真をクリックしてみてください。観光地というより、街並みの写真とか、生活感のある写真が多いと思う。そういう写真を選びました。感触良ければ、写真は増やすかも。
posted by Sakak at 00:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。