2011年01月30日

小・中学校で教えるべきIT技術とは?

義理の弟から、「子供が中学生になって授業でパソコンがいるんだけど、どれがいいですかね?」と相談された。それに対しては「適当に調べとくから予算教えて」って、返しといたけど。

ところで、今時の小、中学校でコンピュータ関係の授業って、

1.誰が?
2.何を?

教えるんですかね。そこに興味がわいた。

心配しているのは、まさかWindows7の使い方や、ワード、エクセルなんかを(最終)目標にしてませんよね、って事。これら全て、マイクロソフトっていう、1民間企業の商品ですよね、所詮。しかも、今、コンシューマ市場では先細り感が出まくりの。

少なくとも、小・中学生相手に、その楽しさを伝える(という目的も含めた)授業でそれはない。職業訓練じゃないんだから、というツッコミをいれたい。未来ある子供達に、そんな入り口で、良いわけない。

家庭使いでは、今後、PCではなく、スマートフォン系OSにシフトしていくだろう。(タブレット端末も含む)
PCというハードウエアやPCにインストールしたソフトに依存するものから、ネット上のサービス、アプリに実態が移っていくだろう。

そうなった時、末端で使うデバイスは、多種多様化してく。まず、その事を教えるべき。インターネットやそのしくみを。デバイスは何でも良いんだよ、って事を体で感じでしさせる事は必要。

そして、その上で、こんなすばらしい事ができるんだよ、っていう事を、使わせながら感じさせる事が必要。

もちろん、ネット上に流れる情報の不確実性や、個人情報を自分で守る大切さは教えるとして。

それらも含めて、ちょうど良い感じに教える事ができる条件は、”ある程度使い込んでいる人”が、”その人の口から、面白いと思うモノを伝える”事が必要。難しい仕組みの解説は後でいいから。

俺だったら、facebookとかtwitterを使わせたりするかな。面白いと思うものを体験させてやれば、子供は必ず興味を持つ。どんな仕組みか興味を持つ。順番が逆じゃだめだ。

カンチガイしちゃいけないのは、もう、PCがマストじゃない。PCを使えることが、算数の9×9を覚えることではない。PCは端末の一種類に過ぎない。例えば、マルチタッチのスマートフォンやタブレットを授業にメインで使っても全く問題なし。そうじゃなくって、ネットワークという土台、そして、その上にあるサービス、システム、アプリケーション、そういう概念、それを使うすばらしさ、コミュニケーションの取り方、そういうものが、むしろ、算数でいう、9×9のようなものになるのではないだろうか。

学校では、クラスに一人か二人、たぶんコンピュータの能力にたけたヤツが出てくる。そういう能力を感じ取って伸ばしてやることも必要かな。特別扱いするっていう意味ではなく、より高い技術を求めている生徒の能力はどんどん上に向かって伸ばしてあげるべき。そこまでの能力が、教える人間にも求められるってことになるけど。

だから、教員は民間人を積極的に投入すべきと思う。担任が兼用とか、数学の先生が、とかそういうレベルではないことくらいは、わかるだろう。教科書をなぞればいいだけでは、絶対にない。

こんなに楽しいよって本気で思ってるヤツが、説明しないと意味がない。

さかけー
posted by Sakak at 23:47| Comment(0) | TrackBack(0) | ネット社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月28日

ネットサービスを組み合わせて使う楽しさ

ネットサービスを組み合わせて使うことで、便利でおもしろい事ができるってことを伝えたくて、書いてみます。

昨年の7月頃から、ブログを書き始めた事をきっかけに、ネットサービスをあれやこれや手を出してみました。試行錯誤の毎日ですが、ある程度スタイルが固まってきたので、自分の整理の意味で、まとめてみました。こちら。

20110128_netservices.jpg


連携”って書いてあるところは、サービスが勝手に連携してくれるところ。私の手は一切、介していません。これが超楽。”post”と書いてあるのは、私自身が選んだりボタンを押したり投稿(post)したりしてっていう意味です。

結局、何がやりたくてこうなっているか、というと、できるだけ多くの人に私のpostしたものを見てもらえるように、って事です。twitterだけ見てる人、mixiだけ見てる人、facebookだけ見てる人、いろんな人がいるわけです。もちろん組み合わせて使っている人もいる。そんな人たちにも、どっかでひっかかってもらおう、というポリシーです。

私の場合は、この図を見ればわかるとおり、blogとtumblrが起点になってるんですね。ここにコンテンツを放り込むことからすべて始まってる。逆に言うと、ここ以外から直接postすることは少ない(ないわけではないけど。たわいもないtweetとか。)

あと、私の投稿意欲を上げるために一役かってるサービスがあって、これがおすすめだったりします。Instapaper(クラウド型ブックマーク)とCatch Notes(クラウド型メモアプリ)です。いつでもどこでも思いついた時に、ささーっとpostして、後でblogにしたりtumblrにしてみたり。

postしたり閲覧するデバイスが、iphone/iPad/PCというように、マルチプラットフォームなので、クラウドサービス、マルチプラットフォームアプリであることがマストなわけです。

こういうの(使用事例)って、他の人がどうやっているかってすごく興味ありますよ。みんなで見せ合いっこしたいですね。
posted by Sakak at 19:35| Comment(0) | TrackBack(0) | ガジェット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月26日

浦島太郎が助けた亀はいったい何者だったのか

「浦島太郎」はこんな話しだったはずだ。(引用元サイト:知的好奇心探求倶楽部”浦島太郎”より)

・虐められている亀を助ける
・亀に「礼がしたい」と言われ、竜宮城へ
・乙姫に迎えられ、踊りや食事の歓待を受ける
・三日たって、さすがに帰りたくなる
・みやげ(?)に玉手箱を渡され、「絶対開けるな」と言われる
・故郷に帰ると、見たことのない風景。それもそのはず、出発してから三百年たっている
・悲嘆に暮れ、玉手箱を開けると煙を浴びて老人に

この話を絵本などで子供に読み聞かせる時のことを考えてみたい。何を子供に伝えればいいのか?と。この話しの教訓は何かを。子供にも「このお話しは何がいいたいの?」と聞かれたときに、親として”ビシッ”と伝えないといけないしね!

この話のポイントは、”なぜ「開けてはならない玉手箱」を持たせたか?”ってコト。

玉手箱って持っているだけでうれしさあるんだっけ?たぶんない。ないなら、もらった人は、開けるに決まってる。中身を伝えずに「開けるな」というのは、”びっくり箱”を渡す時と同じ状況であり、渡す立場の人間は、当然、相手が中身を開けることを想定していた。

「つまり、トラップなんですね、これは。」(池上彰風)

亀とか、竜宮城とか、そんなドリーミングな例えに惑わされてはいけません。竜宮城を、新興宗教団体や暴力団組織などと思えばいい。亀はその構成員。客引き。ハニートラップ。そう考えるのが自然です。

だって、だって、亀を助けたのに、あんまりの仕打ちじゃないですか!まさか、こんな目にあわせておいて「開けるなと言われたのに開けたから、約束やぶった人が悪い」とか、ナシだよね?

”亀を助けた”っていうところに着目し、生き物の大切さを伝えるには、その後の展開があまりにも不幸すぎます。そういうわけで、このお話から、子供に教えるべき教訓は、これです。

教訓:良いコトをしても、見返りは求めるな。タダより高いものはない。近寄ってきた女(亀)に手を出す時は気をつけろ。

補足:
”玉手箱を開けると煙を浴びて老人に。三日のつもりが三百年。”というところはどうしてもつっこみたい。だって、三百年たった結果、老人だったとしたら、どんだけ長生きだよってことになる。スターウオーズのヨーダ並みに。少なく見積もっても、あと50年は生きそう。

もしこの話が1711年(江戸時代)だったら、300年後は2011年。浜辺で(300年前からやってきた)浦島太郎が座り込んでいたら、iPhoneで動画撮られて、Youtubeで流されて、スーザン・ボイル並みに人気が出て、稼いだお金で楽しい余生を過ごした可能性も否定できない。

おしまい。
ラベル:浦島太郎 童話
posted by Sakak at 23:10| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月23日

子供達に教えるべき教育とは

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Twitterで流れてきた、このつぶやきに、もっともだな、って納得した。

「読み書き算盤」はもちろん必要だけど、日本の学校教育でありがちな「どれだけの量を記憶できたか」という指標で評価するようなやり方はおかしい、と前々から思っていた。

インターネットがこれだけ普及し、世界中の情報に簡単にアクセスできるようになった今と、それ以前とで、教育スタイルが同じでいいはずがない。もっと有効に活用し、教育の質を向上させる必要がある。

具体的には「調べるだけ」「書き写すだけ」「覚えるだけ」的な内容はやめる。そして、それらに使っていた時間を「(情報を入手する)テクニック」「(見極める)目を養う」「考察する」「創造する」というコトにシフトすべきだ。

大人達の中には、ネットから情報を入手することだけでも戸惑っている人がいるようだけど、今の子供はそんなことはないはず。欲しい情報は目の前にある、というところからスタートなはず。最初に紹介したつぶやきに書いてあるとおり、得た情報の裏をとり、どうアウトプットするか、そこを教えるべき。その一連のテクニックであったり、考え方を学校や親が教えるべき。

子供が見る情報を規制(フィルタリング)したりする動きが相変わらずあるようだけど(都条例のマンガの話もそう)、押し寄せる情報の波は、止めることはできない。やっていることは、海の向こうから押し寄せる波を手のひらで止めようとしているようなもので、指の間から、必ず漏れるだろう。それを拾おうとすれば、今の子供なら苦もなくできてしまうだろう。そうではなくて、その情報をどう見極めればいいのか、拾って良いものか捨てるべきものか、それを子供に教えることが先ではないか。フィルタリングさせると言うことは、それを誰かにやってもらって自分は何もしなくてもいいという、ある意味、責任転嫁ではないか。

そう思えてならないけど。
posted by Sakak at 22:24| Comment(0) | TrackBack(0) | ネット社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月21日

facebookの実名主義に思わず賛同してしまった件

今日、facebookを使っていて、とてもうれしい出来事があったので、それを覚えておきたくて、このブログを書いとく。

じつは、内心、実名主義に否定的だったんだと思う。心のどこかで。それは、SNSの目的が、リアル友達との連絡手段という視点でしか、発想できていなかったから。まあ、名前はフルネーム入れとくにしても、プロフィールとか別にいいか、適当に空白で、とか。その程度でした。今日まで。

しかーし。今日、その考えが”あさはか”だったって事に気づく、私。

なんと、大昔、中学生の頃、北海道に住んでいた頃の部活後輩が私の名前を検索でみつけてくれて、私宛にメッセージが届く。もう、何十年も会ってないんだよ!連絡先もわからなくなってるし。私がfacebookに実名をいれておいたおかげで、検索で見つけてくれたみたい。マジで驚きました。そして、なんか、感動。じ〜ん。しみじみ。

この気持ち、誰に感謝すればいいんだろう。メッセージをくれた友人、facebookを作ってくれた人(マーク・ザッカーバーグ!)、そして珍しい苗字にしてくれたご先祖様に感謝したい!(だって、同姓同名がいっぱいいたら、みつけられなかったもんね)

既存の人間関係を”ネット上に投影する”って事ばかり、勝手にイメージしてた。違うね。”偶然、見つけてくれる”っていう事があるんだね。そして、逆に、私が”偶然見つける”事もあるんだね。そうして、”新たなつながりができる”事もあるんだね。理屈でわかっていても、まさか自分にはもうそういうのは関係ないだろうって頭だったんで。

実名主義か。。。。なるほどね。。。。今年、これから、facebook、来るかな。来るかも。来てもいいぞ。

さかけー
ラベル:Facebook
posted by Sakak at 00:02| Comment(0) | TrackBack(0) | SNS | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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